かぜを一陣と数えるように

くもを一抹と数えるように

けしきを一景と数えるように

ながれぼしを一条と数えるように

はなびらを一ひらと数えるように

はがきを一葉と数えるように

ひとつひとつていねいに

夏も過ごしていきたい

とちょっと気取ってはみたものの

暑さを乗りきるためと言い訳しつつ

迷ったすえに今日もごはんを、もう一膳

やっぱりわたしは

おいしい夏が好きです(笑)

何か新しいことをはじめるとき、

最初はとても簡単そうにみえていたものの、

いざやってみて、そのものの奥行きを知るにつれ、

だんだんと難しく感じることがあります。

そのとき、難しさを知ってやめる人もいれば、

そこに楽しさをみつける人もいます。

そして「楽しい」を知ってしまった人は、

やめろといわれようが、やめません。

そんな人は、たいしたことないよ~と言いながら

ずっと楽しそうです。

「好き」ということは、

そういうことなんだと思います。

ほんとうの「好き」は奥行が深い。

そんな「好き」にまだまだ出会えそうな

気がしているわたしは、片思いでもいいし、

へたの横好きでもいいのです。

「好き」が好きでいたいです。

地図をもたない旅人は

目にふれるものと語らい

風のうたに耳をすませます

 

地図をもたない旅人は

そこにたどりつくまでが

旅の妙味と知っています

 

地図をもたない旅人は

毎日ちがう風景に

あしたの夢をふくらませます

 

地図をもたない旅人は

道に迷ったそのときは

星をたよりにすすみます

 

地図をもたない旅人は

地図にない国が

どこにあるかを知っています

 

地図をもたない旅人は

みずから、というと自分の意志で何かをする感じがします。

おのずから、というと自然とそうなっている感じがします。

「自ら」「自ずから」。これが同じ漢字だなんて日本語は不思議です。

人の個性や魅力も、「こうでなければ」とか「こうありたい」

という自らの意志だけでつくられていくものではなく、

自ずから、にじみででくるもののような気がします。

人としての、味わいやコク、うま味が

ついついじわっとしみ出てくるようになればいいな、

なんて自ら思っている自分は、まだまだだなぁと

自ずから思う晴れの皐月なのでした。

雑草という名前の草は、ありません。

それぞれ名前をもって、地面にしっかり根づいています。

サラリーマンという職業も、ありません。

ひとつひとつの仕事には、それぞれの価値と誇りがあります。

勉強という科目も、ありません。

ひとりひとり学ぶよろこびや目的は違います。

外国人という人も、いません。

たまたま生まれた場所や育ったところが違うだけです。

 

言葉を大切にしているつもりでも、

よくよく言葉の声に耳をすますと

言葉にだまされやすいわたしがいます。

やっぱり言葉はあなどれません。

わかるけど、納得できないこともあります。

わからないけど、納得できることもあります。

正しいのだけれど、こころが感じないこともあります。

まちがっているけど、こころが感じることもあります。

そんな狭間でゆらゆらたゆたいながら

白とか黒とか決めつけるのじゃなく、

自分らしい色で毎日を彩ることができたら、いいな。

なんて大層なことを言ってしまいましたが、

優柔不断な私の、都合のいい言い訳かもしれません(笑)。

さて、今日もそんな感じでゆっくりいきたい私です。

自然は、

自然であることに

無頓着だから

自然なんだ。

 

自然に帰ろうとか、自然を見習おうとか、よくわたしたちは

いいますが、自然は自身が自然であることなんて全く意識していません。

そんなことを思うと、人間も自然の一部ですけど、ちっちゃいよなぁと感じます。

まぁ、とにかくわたしたちはこの自然に対して、

畏敬の念を忘れずにいることが何より大切なことなのでしょう。